いかにサポートすべきか
一人ひとりと向き合って考えていくしかない


在宅でみていた患者さんの状況確認が一段落してからは、避難所の健康管理のサポートも始めた。

避難所になっていた小学校には、当初、700名以上もの住民が避難していた。その衛生管理を支えていたのは、3人の養護教員。しかも、そのうち2名は定年間近だった。3人は、一度も自宅に帰ることのできないまま、700人以上の健康管理に奔走していた。

「彼女たちが倒れたら、ここの避難所の衛生環境は一気にダメになってしまう」——。

そう思った轡さんは、ちょうど北九州から支援にやってきていたNPO法人のチームに入り、薬剤師として、そしてガイド役として支援に入った。北九州からやってきたチームにとっては、轡さんの持つ薬に関する専門知識はもちろんのこと、地元ならではの土地勘、言葉という点でもありがたい存在だったのだ。

薬局での外来業務、在宅患者の対応を終えて、午後3時頃から避難所の健康管理をサポートする。そんな慌しい日々が、1ヶ月ほど続いた。地震の翌日から、家族が、被害が比較的少なかった内陸部にある妻の実家に避難したこともあり、患者さんのこと、避難所で生活する人たちのことに集中できた。

轡さんは、「かみさんと、1歳になったばかりと3歳児のチビ2人」という4人家族。地震当日、末っ子は保育園に、妻と3歳の息子は集団検診で区役所に行き、その後、近くのショッピングセンターに行っていた。家族の安否がようやく確認できたのは、夜中の12時を過ぎて自宅に戻ってきてから。マンションの扉を開け、家族がいることを確認したとき、その日、初めて安心した。

 いかにサポートすべきか

「もしかしたらもしかしているかもしれないと思っていました。家族と連絡がつかないけれど、目の前にはぐちゃぐちゃになった薬局があり、在宅の患者さんとも連絡がつかない。一緒に働く仲間たちもバタバタしていて、心配しながらも動くしかありませんでした。家族も、相当心配してくれていたようです」

震災から9ヶ月——。患者さんの自宅を訪問しながら、「あの時は大変だったよね」と一緒に振り返ることもあれば、そんな会話をしづらい家庭もある。患者さんも、そして轡自身も、震災以前とは違う何かを抱えている。ある薬局チェーンが自社の社員に対してうつのスクリーニングを行ったところ、被災地の従業員全員にうつの傾向が見られたという。「医療者にかぎらず、そういう要素を皆持っていると思う」

轡さんの仕事である訪問薬剤師とは、患者が住む家に上がり、患者本人、家族と話をし、そして薬の管理、指導を行うというもの。

「患者さんが抱える医療面の問題だけではなく、その後ろにある生活背景まで意識せざるを得ない仕事です。津波の被害を受けた人たちは、そういう生活要素が一旦すべてなくなってしまった。ゼロからつくりなおしていく過程のなかで、医療が占める割合、果たす役割もおそらく変わってきていると思います。そうしたことも配慮しながら、いかにサポートしていくかは、一人ひとりの患者さんと向き合いながら考えていくしかないのかなと思っています」

(2011年12月)