私の心に響いた一言

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命を懸けてまでも、手術をする必要はない。

65歳 男性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

背景

本人が判断に迷っている時に心強い指針を受けた。医師とは、この様にあるべきだ。


あらゆる病気は治らない。治らぬ病とは戦わず上手に付き合って行くのが一番です。

71歳 男性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

背景

“あらゆる病気は治らない 大病してこそ一人前”という言葉があります。治らぬ病を一生懸命に治そうとすると、よけいに苦しい思いをしたり、痛い思いをしたあげくの果て、寿命を縮める事になります。病気を治そうと思うから人は悩み苦しむので、うまく病と共存することを考え、医師には痛みや苦しい時だけを緩和してもらえばいいのです。そう考えていれば気持が楽になります。


確実に約束できるのは、我々スタッフは山田さんを救うために全力を尽くすということ。

50歳 男性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

背景

手術前にさまざまなリスクの説明を受けた。最後に主治医が「なにがあるかわからないし、絶対に安全とはいえない。そんな中でこれだけは確実に約束できるのは、どんな事態になろうと、我々スタッフは山田さんを救うために全力を尽くすということ」と言われた。それで安心して手術を受けられた。


まずは5年目指して頑張ろう。意地でも生きよう。5年後はきっと今より医学は進歩し、新しい薬が出ているかもしれないから。

42歳 女性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

背景

予後不良の乳がんだったため、「3歳の息子が10歳になるまでは、先生、死ねない。生かしてください」と泣きついたときに、主治医が悩んだ末に発してくれた言葉です。この言葉は闘病中の支えになり、今でも私の大きな希望となっています。私が癌患者家族限定で、シンガーソングライターの方を招いたライブを企画したときも、主治医は駆けつけてくれ、素敵なスピーチをみんなに披露してくれました。心から尊敬し、信頼しています。


出来ない時はできない。できるようになったら考える。それまでは休養。

64歳 男性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

背景

胃癌(ステージ4)で胃、胆嚢、脾臓の全摘出手術を受けた5日後に受診したメンタルヘルスケアでの先生のアドバイスです。いつまで生きられるか、仕事に戻れるのか、等の不安や心配。でも、今はあれこれ考えても何も出来ない。だから考えない。あまり先の事を心配してもどうなるか分からない。だから心配しない。「その日暮し」が良いとのこと。この一言で、気持ちがずいぶん楽になり、今でも「一日一日を大切に」生きています。


手術延期してじっくり考えていい。前向きに考えるための手術延期は一つの方法。その間にセカンドオピニオンを受けることもできる。

53歳 女性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

背景

術式を決定するためのデータが複雑で、主治医自身も判断に迷うと正直に言われた。そこで主治医から僕の判断が100%正しいとは限らないから、とセカンドオピニオンを勧められた。患者が納得して治療をできるように進言してくれた医師の言葉は優しく力強く響いた。


GIST(消化管間質腫瘍)、昔は何度も手術をしたけど、今はいい飲み薬があるから、大丈夫。

46歳 女性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

背景

H20、10/10の朝突然の吐血で、救急搬送して貰い、その日のうちに胃切の緊急手術。次の日からは3連休という日の事でした。前日迄、デイケアで准看護師として働いていました。病理の結果GIST(消化管間質腫瘍)と知らされました。20代のころは手術室勤でしたが、初めて聞く結果でした。退院してから、勤務していた内科の女医先生に「病理の結果GISTでした。」と話したところ、『GIST、昔は何度も手術をしたけど、今はいい飲み薬があるから、大丈夫。』と話してくれました。現在は、ナースを武器に、介護保険の認定調査員として働いています。内科の女医先生が施設長をしている施設にも調査に行きます。「先生、4年生存です。転移・再発しても、働いています。」と話せたらいいなと思います。きっと泣きます。


試練です。何年生きたいですか。前向きに、頑張りましょう。

62歳 女性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

背景

がんと告知され、誰にも会いたくなく落ち込んでいました。主治医の先生は、1日も欠かさず朝昼夕とどんなにか忙しい中で、病室を訪れて下さいました。ある日、「試練ですよ」と一言おっしゃいました。わがままな私は申し訳なさで一杯でした。術後、「きれいに取ったよ。でも目に見えないがんは取れない」と。六年経ちました。ステージ4、転移もありましたが、元気です。忙しい中、力を尽くして下さった先生に感謝の思いで一杯です。


頑張らなくていいんですよ。もう十分頑張ってますから。そのままでいいんです。

28歳 女性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

背景

検査結果が出て治療方針が決まった時に主治医より言われた言葉です。「頑張らなきゃ。私頑張ります。」と涙ながらに話したところ、こう言われました。こう言ってもらえて更に涙が止まりませんでした。でも辛い時に、情けなく感じた時にこの言葉を思い出していました。「患者さんは皆、頑張ってます」いつもそう言ってくれ、「私、頑張ってるんだ。気張らなくていいんだ。」と思えるようになりました。


傷口を見たら「大丈夫だね」の一言が私の心にじんと来ました。(主治医の一言)

78歳 女性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

背景

私は、乳がんで昨年放射線治療後何度か傷口から出血し、何度か縫合したけれど傷口がふさがらず悩みました。診察のたびごと主治医と顔を合わせるのが恐ろしかった。入院し処置の結果、ようやく落ちつき10ヶ月位になります。この頃の主治医が今迄みた事のないほどかわいい顔して、傷を見たら「大丈夫だね」と云って下さったこの一言と笑顔が、私の心にじんと来て、一ヶ月一度の病院通いがたのしくなりました。先生ありがとうございます。


2

旅行は一ヶ月したら、行けますよ。先に手術をされたら。

72歳 女性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

背景

私は乳がん患者です。がんと言われた時「先生、友達と旅行に行く約束をしています。先に旅行に行って、それから手術をしたら駄目ですか」とお聞きした時、先生いわく「旅行は手術して、一ヶ月したら行けるから」の一言を励みに手術を受け、一ヶ月経った時お友達と屋久島に旅行に行きました。主治医の先生の一言があったからこそと、今でも皆さんにお話をしています。術後七年目に入っています。


もっとおおらかでいいよ!

59歳 女性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

背景

乳がんの乳房温存手術、放射線療法を終え、ホルモン療法を始めて二年ちょっとたった頃、診察の時にいつもより落ち込んでいる様子の私に、主治医がかけて下さった言葉です。その頃は、まだ病気の再発や転移の事を考えては不安に思い、家族の問題や友人との関係に悩み、疲れ、今迄になく落ち込んでいた私でしたが、この言葉でフッと心が軽くなり、笑顔の私に戻ることができました。この言葉に感謝です。


「よかったじゃない、早くみつかって! これからがスタートよ!」(乳腺外来の看護師より)

67歳 女性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

背景

検診のつもりで他の持病の検査のついでに受けたところ、乳癌と診断。要全摘と云われ夫を呼びました。頭の中、まっ白。病院を娘達と相談。オロオロする自分と周囲の動き。ひとごとの様にしか思えませんでした。夕方仕事を終え、専門外来のある病院の受付前の長椅子に腰かけ、中の動きに耳を傾け、しばし脱力状態の私に声をかけて下さった方。事情を話すと背中をポンとたたきひとこと!! 我にかえりました。しっかり受け止めなくてはと。


患者は妻。息子と同い年位の主治医の先生でした。「お父さん。どんとかまえておきなさい。」息子から諭されている様で勇気付けられました。また、家族から「うちばかりではない」と言われ、勇気付けられました。東北の震災の方々に比べたら、まだまだ悲しみは小さいものです。

57歳 男性 《医療関係者から 患者さんのご家族へ》

背景

昨年の5月に、体調不良を妻(当時55歳)が訴え、外来を受診し即入院となりました。検査の結果、すい臓がんと診断をされ、家族のみ余命も告げられました。「何で俺が、どうして俺が、、、」と思い、頭の中が真っ白になりました。私より辛いのは妻の方だと理解出来るまで、とても長い時間がかかりました。手術も出来ない段階という事で、抗がん剤・放射線治療を受けておりました。7ヶ月間入院生活を続けておりましたが、吐き気や体の痛みなどが進行し、元気だった妻も日に日に痩せていきました。抗がん剤治療にとうとう効果がみられなくなり、病院での生活か、在宅かの選択になり、本人家族とも在宅治療を希望し、最期の時を家で迎える事が出来ました。本人また家族も、納得する在宅介護だったと思います。また、主治医の先生・在宅介護の看護師の方々にもとても良くして頂き、大変感謝致しました。がん患者を持つ家族の皆様、悔いのない会話・介護を。


過去を振り返っていても仕方ないでしょう。これからのことを考えなくちゃ。

48歳 女性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

背景

毎年欠かさず乳がん検診を受け、前年にはマンモグラフィ検査を受けました。検診でがんの現れ方を教わっていたので、自ら気付く事が出来ましたが、毎年毎年検診を受けていたのに、どうして?どうして?と問う私に先生がおっしゃった言葉です。がんと告げられた私も辛かったですが、がんと告げる先生も辛かったと思います。手術から5年が経とうとしています。先生がおっしゃった「これから」が今ここにあります。先生、ありがとう。


太く長くです。

51歳 女性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

背景

膵臓がんの手術後の補助化学療法の変更に納得がいかなかった私に、手術できてもなお、がん細胞が残っていることがわかった事実を告げられました。今後の自分に残された生き方を、「細く長く生きよということですか。」の問いかけに、返された言葉です。


「一緒に頑張ろう 私も頑張るから!!」

61歳 男性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

背景

56歳の時 何の前触れもなく自覚症状もないのに「腎臓がん」と宣告されました。四人の娘の父親として 頑固で強い父親を演じてましたので 本当は不安を抱えながらも弱音を吐くこともなく堂々と腎臓摘出の手術に挑みました 担当の看護師Kさん まだ新米の看護師さんのようで注射が下手なんです(笑) 娘より若いそのKさんが手術前夜の巡回の時 眠れずにいると 「大丈夫ですよ 一緒に頑張ろう 私も頑張るから!!」その一言でなんだか安心してしまいました。あれから5年 Kさん注射上手になったかなと ふと思い出したりしています 「Kさんお陰様で元気に生きていますよ!!」


ここまで、来たら大丈夫だョ頑張ろう。

63歳 女性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

背景

大腸癌とわかり、半年位経過していました。父親が、行方不明・死亡でありました。入院の時も、先生より「手術しないのなら、すぐ帰れ!!」と、言われ私の返答は「死んでもいい覚悟で来たので、好きな様にして!!」と。この言葉は手術室に入った時の言葉です。二週間余りの入院。退院は、自転車(二十分位)で帰ってきました。先生・看護婦さん方に親切にしていただきました。現在も、元気な姿を見せに行っています。


「がん」は俺だけでよかったのに、お前までがんに成るなんてゴメン。貴女の悲しみ苦しみは二人の悲しみだからネ 治してやる!俺がァ

63歳 女性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

背景

宣告され何がなんだか分からないで、入院が告知の翌日でした。なんで私がと思う反面、主人に申し訳ない気持ちで涙が止まりません。私が何をしたの。二人家族の二人までも「がん」に成るなんて。神様なんか居ないと思いました。でも主人の一言「守ってやれなくてゴメンネ!でも俺も一緒に悲しみも苦しみも分け合って支えるから頑張ろう」と云ってくれ、思い切り涙流し、前向きに生きる様決意し現在とても幸せです。元気です。


「この薬のある時代にこの病気になったのは、ある意味、ラッキーです。」

52歳 女性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

背景

経口の慢性骨髄性白血病の治療薬が日本で承認されてまだ数年の頃、家族が慢性骨髄性白血病だと判り、本人と共に説明を聞いた時に医師から言われた言葉です。病名のあまりの大きさに自分で調べても悲観的な事しか頭に入らなかったけれど、この言葉を支えに数年、この経口のお薬を飲み続けて完全寛解にまでたどり着きました。ありがとう。


3

見つかった癌は自らの身体が長年にわたって育んでいる異端の細胞そのものである。

79歳 男性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

背景

小さな癌塊が食道で発見され内視鏡手術による摘出を受けたが現代医学ではその癌細胞が何時頃発生し、どの程度のスピードで今後成長して行くのか予測できないとのこと。高齢者にとってはわが身の癌再発の恐怖に対しては正常細胞との共存共栄を願い、日常生活での安定したストレス解消を維持したいと思っている。


僕に出来ることなら何でもします。

53歳 女性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

背景

乳癌が判明し、紹介された総合病院で主治医の初診時に言われた言葉です。がんについて何も知識がなかった私にとって、それは非常に力強く暖かな言葉でした。患者の辛さや心の痛みに寄り添おうと心を砕く主治医の真摯な姿勢に、がんに向き合う勇気を与えられました。


一歩前進 二歩後退それでも頑張るしかない。私たちも頑張るから貴女も頑張ろう。

69歳 女性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

背景

平成23年11月8日胆管がんで10時間と長い手術をしました。術後の治りはなかなかはかどらず、毎日毎日あせっていた時の看護師さんの言葉。皆、看護師は個性が強く病院は3交代。毎日心やすまる事のない病棟生活。心身共につかれ毎日泣いてばかりの日々。その時その言葉をもらい、何か自分に陽がさしたような感じになり。今退院して9ヶ月過ぎようとしていますが、思い出して勇気をもらっています。


治療法の少ない去勢抵抗性前立腺がん患者をとりまく治療環境がさらに改善することが期待される。

75歳 男性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

背景

タキソイド系抗悪性腫瘍剤中心の化学療法。治療効果延長を期待して早めに選択したのは正しかった。完治の無いこの病。他の条件で死ぬ可能性はありますが、とりあえず、人生を有意義にエンジョイする期間が長引きそうです。厚生省の承認を待ち望みます。


必ず元気な奥さんに戻してからお返ししますから

50歳 男性 《医療関係者から 患者さんのご家族へ》

背景

患者である妻も私もいつどうなるか不安で一杯の日々だったころ、担当のお医者様に言われた一言でした。安心してお任せするしかないと思いとても嬉しかった一言でした。


皆で頑張るから家族の方も明るく、楽しく、元気よく。暗く過ごすよりは皆で楽しく過ごしたほうが良いと思う。

60歳 女性 《医療関係者から 患者さんのご家族へ》

背景

今回で入院するのは3度目です。段々と体調が悪くなるのが目にみえて、わかるようになりました。20歳の娘と今までの事を悲しんだり、笑ったりしてますが、反省点が無いわけではありません。そのような中での一言がすくいになります。


いつでも、待ってます。どんな状態でも受け入れます。

38歳 女性 《医療関係者から 患者さんのご家族へ》

背景

父が抗がん剤、放射線、手術、様々な治療をしたが治らず、治療法なく自宅看護が決まった時と、その後の通院の度に医師に言われた一言。退院後の生活に不安で一杯の時にとても心強かった。


貴方はいろゝと癌の進行状態を気にしているけどCT画像を診る限り(交通事故以外では)死なないよ!

61歳 女性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

背景

今は心優しい担当医にはいつも癒しの言葉をいただいておりますが、以前は末期の食道癌に罹り四面楚歌の状態でした。その医師は当初よりとても良く話を聞いてくれまして、自分が癒されて日を追うごとに体調が上向きました。そして何回目かの検査の後、癌が少しずつ縮小していくのが判りました。先生の診察の日、いろ々質問のあとに、貴方は(今のところ)交通事故以外では死なないよと言ってくれました、それもさりげなく、、、。頑張る意欲が湧くと共に現代でもいるんですね、赤ひげが!


一緒に、治しましょう。

78歳 女性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

背景

卵巣がんで手術前に医師より不安な患者に対しての心遣いに本当に嬉しい言葉で有り、こんな医師も存在している驚き。そして説明の際もベッド側で座り込む姿勢での患者目線に尊敬の念を抱き、医師を信じて素直に従うと心に誓った。上から目線でない思いやりに不安は消えたことは正直な気持ちです。手を握られ言葉こそ無かったが、それだけで安心でした。今でも鮮明に思い出される、今から6年前に手術したときの経験を書きのべてみました。


あなたなら戦える。戦いなさい。

58歳 女性 《医療関係者から 患者さんご本人へ》

背景

大腸ガンがみつかり、CTを撮ったら、リンパ・肝臓に転移していて、ステージも4で手術も無理な状態でしたが、CTの画像を診て内科の先生が私に言った一言です。それから抗ガン剤をうち、手術もでき、まだ肝臓にガンはありますが、2週間に1回抗ガン剤をうちながら元気に遊び、仕事もしています。ガンがみつかって4年半がたちました。先生の一言でファイティングポーズをとった私を周りの人々がサポートしてくれてます。


がんばってるね

35歳 女性 《医療関係者から 患者さんのご家族へ》

背景

面会に来てくださる、親戚や友人、担当医、看護師のみなさん、みんな「がんばって」と勇気づけてくれました。でも、研修医の先生だけは「がんばってるね」と父や母に声をかけてくださいました。父も母も私も自然と涙が出ました。つらい中、みんながんばっている。「がんばって」より、「がんばってるね」と認めてもらえることが、嬉しくて、幸せな一言だと感じました。魔法の言葉を、本当にありがとうございました。


ガンで死ぬということは、とても幸せなことなんですよ。最期まで自分らしくいられるのですから。

50歳 女性 《医療関係者から 患者さんのご家族へ》

背景

緩和ケアの講演会に参加したときに聴いた言葉です。「たとえば一部の病気と違って、ガンの場合は死を迎えるまで自分はどう生きたいのかを考える時間がある。それはとても素晴らしいことだと思います。」両親がガンで闘病していた私には、目からウロコでした。今年2月に父が、5月に母が、それぞれホスピスで亡くなりました。おかげさまで本人はもちろん、家族もとても納得のできる看取りとなりました。