私の心に響いた一言

1

努力して結果は〇〇にお任せし、なったらなった時に考えれば良い!!(母の言葉)

52歳 男性 《家族から 患者さんのご家族へ》

背景

悲しいかな我々人間や医療の力には限界が有ります。しかし、一生懸命に努力して(最善を尽くして)、そしてその結果は甘んじてそれを受け容れる。受けとめる。できれば感謝して。〇〇に入る言葉は人によって違うと思いますが、「神」とか「仏」とか「(大)自然」とか「天」とか「ダルマ」とか、「医師や医療スタッフ」とか、「ゴッド」とか私はモラロジーによって、神と教わりました。


明日はいよいよ先生の診察の日です。緊張しますぅ~!それでもよっちゃんが先生に頼んでくれた事が御守りになって少し安心出来るんですねぇ。単純ですが助けられてます。ありがとう!!明日の結果はまた報告します。

47歳 男性 《家族から 患者さんご本人へ》

背景

義理の姉が、乳がんで手術を受けた後送られてきたメールです。私が主治医の先生に「宜しくお願いします」と言ったことを伝えた後に送られてきました。手術前からかなり不安だったのが、丁度手術後少し落ち着いて来た時でした。がん患者さんへ一言でも安心できる言葉や態度が「御守り」になるのだと改めて感じました。メールの「明日の結果はまた報告します。」は、明日は、きっと良い報告ができるという期待と喜びが感じられ、私自身も嬉しかったです。


ありがとう。ふーちゃんが来てくれると元気になるよ。

40歳 女性 《家族から 患者さんのご家族へ》

背景

30年ほど前のことですが、祖母ががんで入院していた時、週末はバスを使って病院へお見舞いに行っていました。病室のテレビで「のど自慢」を一緒に見たり、学校での出来事を話したり、そこにはのんびりとした温かい時間が流れていました。先日、嫁いだ先の祖母が亡くなったので、なつかしく思い出されました。


「ゆっくりと生きる」

37歳 女性 《家族から 患者さんのご家族へ》

背景

癌を二回経験した父の言葉です。年齢的にはおじいちゃんと言われる年ですが、まだまだ生きる気持ちがたくさんあります。


お父ちゃん好き…。

27歳 男性 《家族から 患者さんご本人へ》

背景

白血病治療からの一時帰宅。4歳になったばかりの息子が誰に言われるでもなく、泣きそうな声で掛けてくれた一言。その優しさに嬉しくもなり、そんな思いをさせている事に辛くなった一言でした。


いつも支えてくれてありがとう。無理しないで精一杯生きてね。

40歳 女性 《家族から 患者さんご本人へ》

背景

ガンと闘っている旦那に贈る言葉です。


(がんの診断を受けたとき)がんに勝たなくてもいいけど、負けたらあかん。

66歳 女性 《家族から 患者さんご本人へ》

背景

この一言がいつも頭にあり励みとしてきた。当初は漠然と気長に病気と向合い、共存しながら前向きに治療生活をしていくことと理解。後日「病気に負けない」ということを具体的に4つの目標としてすすめて2年8ヶ月経過しています。1.病気に学び、自己の心身の声をよく聴く。2.医師の説明をよく理解し、自己責任をもち自己決定する。3.許される行動範囲で体力維持、リハビリをする。4.目標、希望を持ち生きがいにつなげる。


頑張ってね。僕は、お仕事頑張るから、お金の事は心配しないで。

48歳 女性 《家族から 患者さんご本人へ》

背景

乳癌告知を受け、乳房全摘と言われました。絶望の毎日。同時再建をするか悩み苦しんでいました。もう自棄になり「死んでもいいから手術を拒否する。」叫ぶと「ダメだ。」と夫が言う。家を飛び出し、気付くと満開の桜を見上げていました。困らせたかっただけです。もう答は出ました。「再建はしない。」そう決めたらホッとしました。翌朝、出勤する夫が玄関から、リビングに居る私に叫んだ言葉です。夫から私へのエールでした。


私がお祈りしてあげる。

44歳 女性 《家族から 患者さんご本人へ》

背景

小学2年生の娘が、乳がんで傷のある左乳房に“お祈りしてあげる。よくなれよくなれ”と、手をそえてお祈りしてくれます。


掃除や洗濯や重いものもつの、全部おれがやる。でも台所はやってくれよ。

69歳 女性 《家族から 患者さんご本人へ》

背景

左乳がん切除後、退院してから夫が声をかけてくれた。仕事人間だった夫が、ソロソロ10年になろうとしているが、掃除や洗濯や重いものもつの全部夫がやってくれる。元気になった私は、三つのボランティアに汗を流している。だけど台所でラーメン一つできない夫です。でもとってもありがたいです。


2

先に行ったらあかんで

68歳 男性 《家族から 患者さんご本人へ》

背景

完治のない骨髄の癌・多発性骨髄腫と診断されました。遠方に暮らす母(96歳)には治療に半年はかかると伝えていました。そして9か月後、ツルツル頭で、むくんだ顔で、「治ったで!」と言いに母を訪ねました。息子の顔を見て大変な病気に罹っていると認識したのでしょう。それから2年後、母が天国へ行くまで、さよならの挨拶は「先に行ったらあかんで」でした。母は子供4人のうち2人を先に失っていたのです。


この子の為に生きてほしい。息子は一歳半でした。子宮癌で、生存率50%と言われて居たそうです。もう29年たちました。

57歳 女性 《家族から 患者さんご本人へ》

背景

この子に自分の事を忘れられない歳まで生きたい、ただそれだけでした。そして29年経った今、放射線の後遺症で人工肛門、腎ろう。人工肛門は今年の2月、腎ろうは9月20日に手術を行いました。今はオストミー関連の団体に入り同じ障害を持った方々のお話を聞いて勇気を頂き、有料老人ホームで介護の仕事をさせて頂き、週一回水曜日には手話をならいに行っております。どうか癌で頑張って居らっしゃる方、癌になんて負けないで下さい。


つらいことも悲しいことも生きている証拠

51歳 女性 《家族から 患者さんご本人へ》

背景

理由は忘れましたが、落ち込んでいるときに家族から言われました。


邪魔?そんなことないよ。メールしていいよ。私も、するよ。まだおきてるから。

24歳 女性 《家族から 患者さんご本人へ》

背景

入院中の夜に、母とのメールのやりとりの最中に言われた言葉です。入院中、夜になると急に不安になり毎日泣いていました。そんな中、母とメールをしていましたが、母は明日も朝早くから仕事だし、テレビも見たいだろうと思い、「邪魔してごめんね。おやすみ。」と私から送ったメールの返信の内容が、これでした。母は私のことをいつも心配してくれて、いつも私の味方でいてくれている…。本当は早く寝たいだろうに…。心に響いたメールです。


僕の薄毛は Permanent(永久)だけど 君のは Temporary(一時的)だからいいなぁ。

60歳 女性 《家族から 患者さんご本人へ》

背景

16年前に乳癌で抗がん剤治療をして髪が薄くなり始めた私に夫が言ったひとこと。薬のせいで髪が抜けることは主治医から聞いていて心の準備は出来ていたつもりでしたがいざ抜け始めるとやはり気分が沈みました。でもこのひとことで本当だ、私の髪は治療が終わればまた生えてくるんだ。その点 彼のは。。。2人で笑ってしまいました。


振り向いたら、君が本当にそこにいる。のが、幸せ。

51歳 女性 《家族から 患者さんご本人へ》

背景

再発してからは、気力も体力も低下気味だったのを懸念して、しばらく遠ざかっていた軽いハイキングにと、御神体のある山に夫婦で登りました。思ったよりばてることなく、休み休み登り切れました。先に歩く主人が振り向いてはこぼした言葉です。


病気が、あなたの人生の“味”になっていくよ。

43歳 女性 《家族から 患者さんご本人へ》

背景

41才で乳ガンがわかり、同居の義母も心配するほど落ちこみました。自分のなにが悪かったのか… 子供には遺伝するのか… 頭の中がいっぱいながらも、なるべく明るくふるまおうとするのですが、空まわりの日々。そんな時、義母がこの言葉をかけてくれました。今まで何も問題なく平凡に生きてこれたことに感謝するとともに、病気を人生の味つけ、糧、私の個性にしたい!と前向きにさせてくれました。


いつまでも二人で・・・笑顔でおしゃべりしよう

53歳 女性 《家族から 患者さんご本人へ》

背景

銀婚式を迎えてから、親の介護等で別居生活を送り始めたときに私の癌・余命宣告。今まで当たり前の日々がとても幸せな時間だったことを知りました。少しでも元気な姿で想い出をつくりたいから、お互いささやかな目標をもって笑顔で過ごしましょうとなりました。毎日、朝晩電話でおしゃべりしています。主人に感謝しています。病気になって多くの事を教えてもらい生きています。とても幸せです。


だけんなん?俺だっていつがんになるかわからんやろ?

44歳 女性 《家族から 患者さんご本人へ》

背景

がんになりいろんな問題で離婚をした私。もう二度と結婚はしない(出来ない)と想っていた私に出逢った今の主人が「私、がんなんだ」って言った時の彼の一言です。この人しかいないって想いました。


今まで私達の為に休みもなく働きづくめで私達の為に沢山頑張ってくれたんだから、ゆっくり休んでね。それがお母さんの今の仕事だよ。

52歳 女性 《家族から 患者さんご本人へ》

背景

母子家庭で3人の子供を育て、生きる為に、何とか普通の家族みたいなラインまでと必死で年中働いてきた私。あたり前のラインがいかに厳しく難しいものだと改めて知りました。お金があれば幸せかもしれないが、家族の絆だけは、どこにも負けないよ。貧しくても笑って乗り切れるように、子供達に伝えた。しかし、ガンになった時、ふさぎ込む私に長女17才がメールしてくれたこの言葉に涙が止まりませんでした。ありがとう。


3

たとえ、どんな未来が待っていようとも決して、決して、あなたの手を離さない。いつも一緒だよ。

50歳 男性 《家族から 患者さんご本人へ》

背景

入院中に、あらためて家族の愛情の深さに気づかされた。


今まで支えてくれてありがとう。これからは私がそばにいて支えてあげるからね。(娘より)

53歳 女性 《家族から 患者さんご本人へ》

背景

乳ガンの手術をして3年目に再発して、ガン性腹膜炎になって落ち込んでいた私に娘が言ってくれた一言で私は前向きに生きる力をもらいました。主人は自営業で年々仕事も少なくなり、代わりに私が働いて生活を支えてきました。その姿を見ていた娘は私の良き相談相手であり良き理解者でした。昨年結婚した娘は娘のご主人とそのご両親に理解してもらって、毎日食事を作りに来てくれています。本当に私にとって娘は天使です。


「じいちゃん、今度、いつ泊りにくるの?」

62歳 男性 《家族から 患者さんご本人へ》

背景

先生が言いました。「悪性胸膜中皮腫です、いわゆる、がんです」頭の中を電気が走ったみたいでした。11年前に亡くなった妻の、その時の気持ちが今、すごくよくわかります。帰りの車の中で息子が「今晩、夕食を俺の家で食べて泊まって帰ったら」と言ってくれました。夕食を食べ終わって寝る前に孫が、「僕、じいちゃんと寝る」と言って一緒にねました。翌日帰り際に、孫が言った一言です。先に旅だった妻の分まで、少しでも長くいきて、孫たちを喜ばせてやりたいと思う。


(退院したら)お義母さんのところで同居したほうがいいんじゃないか?

46歳 女性 《家族から 患者さんのご家族へ》

背景

私の実父が進行がんで亡くなって11ヶ月、今度は一人暮らしの実母が癌といわれ、大きな手術を受けることになりました。夫と2人で外食をしているときに、夫が言ってくれた。私たちのマンションと実家は歩いても行ける距離だけれど、そんな風に思っていてくれたことがとてもうれしかった。


絶対、死なさへん。オレが絶対助けたる。 主人より

36歳 女性 《家族から 患者さんご本人へ》

背景

胃がんの手術をして半年後、腹膜に転移していることが分かり、主人から告知された。自分で理解出来ず、認められない思いと、死への恐怖心、色んな思いがおさえられず、その時に力強く言ってくれたことは、何よりも心の支えになっています。今は、こうがん剤を2週間に一度のペースで治療をしています。毎回主人が居てくれます。ありがたいです。


今は泣きたいだけ泣けばいいよ。

69歳 女性 《家族から 患者さんのご家族へ》

背景

咳痰は鼻炎だと思い込んでいた元気印の主人が食欲が無いと言い出し、病院で検査の結果「肺がん3B期」と判明。吐血した場合は命の危険もあるとの診断。即検査続きで入院治療に入り、娘、息子は遠方で家庭持ち。毎日病院に見舞って家に帰り、一人でいると涙にくれている毎日でした。子供たちの悲しみショックも一緒に泣き暮したあの頃です。その後、脳に転移し、全脳照射、抗がん剤点滴で闘病中です。


頑張りなさい!あなた子供二人のお母さんでしょ!

53歳 女性 《家族から 患者さんご本人へ》

背景

突然の急性骨髄性白血病 診断され告知されたときは死を覚悟しました。すぐに皆がお見舞いに駆けつけてくれ泣いている私を見て姉がしっかり手を握り言ってくれたひとことは頑張りなさい!あなた子供二人のお母さんでしょ!でした。目が覚めました!そうだ!子供たちのために頑張ろう!と 8か月の辛い過酷な治療を乗り越えました!


悔いのない人生だった

63歳 女性 《家族から 患者さんのご家族へ》

背景

2012年1月8日、夫は膵臓癌で亡くなりました。61歳でした。3年前病気がわかると、仕事を辞め時間を有効に使うことに専念しました。旅行やスポーツと忙しく活動しながら、一方では免疫療法、サプリメント、動注での抗癌剤投与など治療にも積極的に取り組みました。今でも膵臓癌の生存率は極めて低く、手術で組織を取り除けなかったため、どこかで腹を括っていたようです。亡くなる2週間ほど前に家族にこの言葉を伝えたのです。


一週間休みをもらってきたからね。

76歳 女性 《家族から 患者さんご本人へ》

背景

胃ガンで胃全摘手術を受けたときのことです。遠く離れて働いている娘が付添ってくれて、どんなに心強く頑張れたことでしょう。遺書を残しての入院でした。早期離床。管だらけの身体を支えて、トイレにも一緒に入ってくれて感激しました。あれから18年。今も生命あることの幸せを思っています。