乳がん:今日より素敵な明日はきっとある

ピンクリボン運動で早期発見の重要性がうたわれる中再発の告知を受けた患者さんの思いとは

Oct 13, 2017

「この体、代われるものならあなたと代わってあげたい」と言いながら布団に突っ伏して声をあげて泣いた義母。

「その姿を見て私は、絶対に先に死んではいけないと、心の底から強く思いました」

ピンクのジャケットをまとった中川圭さんは、今から17年前、自身が乳がんと診断された当時のことをそう語ります。ピンクは乳がん啓発のピンクリボン運動の色。現在、乳がんに関する活動の際は必ず何かピンクのものを身に着けることが習慣になっています。

17年前の真夏の金曜日の夜、自らの右乳房をセルフチェックしていた手に触れた硬いしこり。不安な週末が明けて病院へと向かうと、生検の必要性を告げた医師の様子から、中川さんはほぼすべてを悟ったといいます。

確定診断を受けた際に真っ先に話したのは友人。「今、何をして欲しい?」と尋ねる友人に「情報を集めて欲しい。同じ乳がんの体験者に会って話が聞きたい」と答えました。友人は必死に乳がんの患者を探し、中川さんに引き合わせてくれました。

当時はまだインターネットもダイヤルアップ回線でつなぐ時代。彼女の住む広島県では、書店も含め患者さん自身が目にできる乳がん情報は多くはありませんでした。同時期に乳がんを発症した患者さんが次第に中川さんの周囲に集まる中で、正しい理解がなければ闘えないという思いから、医師を囲む乳がん勉強会をスタートさせました。

この小さな動きが、現在中川さんが理事長を務める「乳がん患者友の会 きらら(以下、きらら)」の設立へと発展しました。「明日はきっといい日」を合言葉に、きららが広島市で開催する大規模な乳がんフォーラムは既に19回を数え、医師を囲む勉強会などの定例会も170回以上にのぼります。

耳を疑った再発の告知

外科的切除と放射線治療を併用する乳房温存術を受けて約1年半後。病魔が遠ざかり始めたと思っていた矢先、中川さんは再発を告げられました。

「乳がんの勉強をしていたので、再発したら今の医療では完治は難しいとすぐに分かりました。極端な話、『これがあなたの寿命ですよ』と突きつけられる感覚です。『なぜ私が再発?』『嘘だったらいいのに』と繰り返し自問しました」

それから15年間、ホルモン療法を続け、きららを通じて寄せられる患者さんの悩みの解決に奔走する日々を送っています。相談を受ける際に中川さんが発する言葉は「私に何をして欲しいですか?」。初発時、乳がんを告げた際に友人が発した、この言葉が救いだったからです。

しかし、思いもしない反応が返ってきたこともあります。勉強会を立ち上げた当時知り合った同い歳の乳がん患者の友人は、中川さんからやや遅れて再発を宣告されました。友人に「何をして欲しい?」と投げかけた時、彼女はこう言いました。

「じゃあ圭ちゃん、私が再発していないって言ってちょうだい」

再発のショックを経験した自分だからこそできることもある。しかし、友人の願いは再発した自分だからこそ叶えられないものでした。

情報過多の時代だからこそ

現在、乳がんの罹患数は増加傾向を示しています。その一方で高齢化の影響を除いた死亡率は過去10年間ほぼ横ばいです1。これは乳がんの診断や治療の進歩が大きく影響しています。

一方、中川さんが診断された当時に比べ、乳がん患者さんが情報を得ることは容易になりました。

中川さんも「今は一般人向けの乳がん関連の書籍も増え、インターネット上に匿名で悩みを投げかけ、情報を得ることもできます。かつてとは違う時代になりました」と実感を語ります。きららのホームページで公開している乳がんフォーラムの動画も広島県以外の遠隔地からの閲覧や問い合わせもあるほどです。

ただ、大量の情報を容易に入手できるようになった反面、不確かな情報に惑わされる人も少なくありません。きららが行ったアンケート結果からは、専門家ではない周囲の人から聞いた情報に左右されやすいという、昔ながらの傾向も一部に根強く残っていることもわかっています。

また、医師が複数の治療法を提示し、それを患者自らが選ぶ「インフォームド・チョイス」も当たり前になった今、逆に何を選べば良いか分からず戸惑う患者さんもいます。

一般の人の間では「がんになったらもう働けない」「がんになったら、遠からず亡くなってしまう」「乳がんなら、がんを切除すれば治る」という誤解もまだ少なくありません。

だからこそ、きららを通じてフォーラムや勉強会を定期的に行うことの意義は大きいと考えています。

乳がんが教えてくれた本当の財産

そんななか中川さんらが注力している活動の1つが広島県でのピンクリボン運動。2004年に「ブレストケア・ピンクリボンキャンペーンin広島実行委員会」という名称で始まった活動では、きららは初回からのメンバーとして、他の乳がん患者団体や健康な女性など、様々な団体を交え、年間を通して大小のイベントを実施し、乳がんの啓発活動を行っています。中でも、今年で11年目を迎える「ピンクリボンdeカープ」は、地元のプロ野球球団・広島東洋カープの協力も得て行っている、大変大きな活動のひとつです。

ピンクリボン運動はもともと90年代にアメリカで始まったとされる乳がん啓発活動ですが、中川さんらが活動を開始した当初は医療関係者でも知らない人がいました。いまではピンクリボンと聞くと「ああ、乳がんの活動ね」と言う一般の人も、広島県内では増えてきています。

こうした中川さんの活動を支えるのが、学生時代からも含めた友人たち。しかも、そこには乳がんを患っていない、健康な友人たちも数多く参加しています。

「私には借金もないけど、貯金もない。何もない私だけど、ただ、自慢できるのは支えてくれる友人たちです。乳がんの発症も、再発も、考えれば人生最悪のこと。でも、自慢できる友達がいたことは、実は乳がんにならなければ分からなかったかもしれません」


乳がんの疾患サイト 乳がん羅針盤  http://www.nyuganrashinban.jp/
乳がん患者友の会 きらら http://www.nakagawak.jp/

参考文献

  1. 国立がん研究センター がん情報サービス がん統計 年次推移
    http://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/stat/annual.html