CML: 新しい選択肢で道切り拓く

見通しの立たない慢性骨髄性白血病の治療生活と葛藤。そして、 休薬して無治療寛解に至るまで

Sep 21, 2018

「高熱で朦朧としながらも、『自分は血液のがんかもしれない。白血病だったら、家族に迷惑をかけてしまうかもしれない』と骨髄バンクのドナーカードを見て、ぼんやり思っていました」

河田純一さんが慢性骨髄性白血病(CML)と診断されたのは2005年12月、大学2年生のときです。少し前から、なんとなくだるいといった不調を感じていましたが、「やる気がでない時期なのかな」と深刻に捉えることはありませんでした。しかし帰省中に39℃を超える高熱が出たため、かかりつけ医に診てもらうと、すぐに近くの大きな病院を紹介され、そこで告知を受けました。

CMLは成人における白血病全体の中で約20%を占めますが、発症数は年間で100万人あたり約7~10人。50歳代以降の人に多く見られ、性別では男性がやや多いのが特徴です。河田さんが発症したのは、22歳の時でした。

告知の際、河田さんは家族とともに、主治医から治療法についての説明を受けました。主治医の説明では、CMLには治療の選択肢がいくつかあり、造血幹細胞移植は治癒を望める治療法ではあるものの、免疫抑制剤の服用、感染症対策などが必要であり、河田さんには分子標的薬による治療が適しているということでした。その後、一度帰宅して、すぐに自分でも自身の病気と治療法についてインターネットで調べ、分子標的薬による治療に臨むことを決めました。
「薬を飲み始めると、ずっと続いていた熱が下がり、血液検査の数値もかなりよくなりました。自分には分子標的薬の効果がすぐに現れたので安心しました。しかし、それと同時に下痢や嘔吐などの副作用に悩まされるようになりました」

大学を退学し、失意の日々

その後、病状は落ち着いてきたものの体調が安定せず、大学の通学もままならない日々が続きます。休学と復学を繰り返し、結局2年後には大学を退学しなければなりませんでした。
「実家に戻り、何もできずに家の中で過ごす日々が続き、精神的にも不安定になりました。大学を退学したことで、人生の目標も持てなくなっていました」
その頃、河田さんのお母さんもリンパ腫と診断され、治療を始めました。その看病もあって、河田さんはさらに家に閉じこもりがちになります。幸いなことにお母さんの病状は上向きましたが、その一方で自分だけが現状から抜け出せないことに不安を感じ続けていました。

そうした状況は2011年まで続きます。しかし、そんなときに東日本大震災が発生し、その様子を目の当たりにした河田さんは「自分も変わらなければいけない」と考えるようになりました。

薬の服用を止める臨床試験に参加し、生活が一変

その後、一度はあきらめて退学した大学に再入学します。当時の闘病を知る大学の先生に「戻ってこないか」と声をかけられたことがきっかけでした。
「変わりたくて東京へ来たので、腹をくくって頑張ろうと決意しました。実家の近くの病院から東京の病院へと移り、大学ではボランティアも始めました」

そして河田さんは大きな転機を迎えます。東京の新しい主治医の先生から、ある大学が実施している臨床試験への参加を勧められたのです。それは、分子標的薬による治療を中止しても寛解*を維持できるかを評価するために、医師が主導で行っている臨床試験でした。その臨床試験のことは、河田さんが参加している患者団体からも情報を得ていたため、関心を持っていたといいます。

*寛解----病気の症状が、一時的あるいは継続的に軽減した状態。または見かけ上消滅した状態のこと。

「主治医の先生の下で、定期的に血液検査や遺伝子検査などの検査を受けることで、再発していないかを確認することができます。万が一再発したとしても、また服薬を再開すれば大丈夫だと考え、その臨床試験に参加してみることにしました」

河田さんの場合、2015年1月からその臨床試験に参加し、3年半ほど薬の服用を止めていますが、現在も寛解を維持しています(2018年9月時点)。

薬の服用を止めたことで日常生活は大きく変わりました。何よりも薬を忘れずに飲むというプレッシャーから解放されたことに深く感慨を受けました。さらに体重も増えて、病的に白かった肌も10年前の色みが戻ってきたのです。日焼けができるようになったので、夏は半袖シャツで過ごしたり、海に出かけたりする余裕も生まれました。

「今度は無事に大学を卒業することができました。今は大学院に通って、社会学を学んでいます。医療技術や新薬の開発とともに、多くのがんは不治の病ではなく、治療しながら日常生活を送ることができるようになってきました。そういう現状の中で、がんを経験した人が、他の生活習慣病のように、病気とともに生活することがどういうことなのか。まだあまり研究されていないテーマだからこそ、自分が明らかにしたいと思いました」
大学院での研究は他の患者さんだけではなく、自分自身のためにもなっていると感じています。

大学を退学することになっても変わらない付き合いを続けてくれた友人たちや、再入学を勧めてくれた恩師、病気や生活を全般的にサポートしてくれている家族には、いつも感謝の気持ちを持っているという河田さん。大学院での研究は大変ですが、病気の経験を前向きに捉え、次の一歩を踏み出そうとしています。

(参考資料)

  1. 国立がん研究センター がん情報サービス 慢性骨髄性白血病 https://ganjoho.jp/public/cancer/CML/index.html(2018年8月情報取得)

慢性骨髄性白血病 疾患ウェブサイト http://www.cmlstation.com/