自分の判断で、無償で薬を渡していた
地震発生の翌日からは、薬局の外来業務のほかに、避難所を回る日々が始まった。在宅で看ていた患者さんの多くが自宅を離れ、避難所生活を行っていたからだ。「○○さんのご家族の方はいませんか」と、近くの避難所を回って探し、ようやく出会えれば、手持ちの薬が不足していないか、確認する。
一方で、薬局には翌朝から、近くの小学校に避難している人たちが列をなしていた。財布も持たず、着の身着のまま逃げてきた人も多い。当然、薬を持っているわけがない。
厚生労働省が、処方せんがなくても医療機関や薬局で医薬品を提供してもよい、と通知を出したのは12日のこと。いつもなら通知はFAXで届くが、当然、届くわけもなく、轡さんがフェイスブックやメールで知ったのは2日ほど経ってからだった。
とはいっても、その間も、患者さんはやってくる。「『ちょっと待ってください』といって、そのまま患者さんを帰すわけにはいかないですよね」。
どんな色や形の薬を使っていたのか、患者さんから話を聞き、自分が持っている医療の知識、薬の知識をフル稼働させて、普段使っていた薬を推測し、薬局にある薬のなかからより近いものを選び、無償で渡していた。「自分の判断でお渡しするしかありませんでした」。