ちょっとしたゆがみで医療が受けられなくなった

ちょっとしたゆがみで医療が受けられなくなった

ちょっとしたゆがみで医療が受けられなくなった


退院してもらった患者さんのなかには、普段であれば、退院させることのないような患者さんも、少なからず、いた。しかし、病院の事情、患者さんの事情、家族の事情、交通の事情など、医療だけの問題では片付けられない、やむを得ない判断だった。

石巻赤十字病院に入院中に震災に遭い、東北大学病院の腫瘍内科に転院した、あるがん患者さんは、化学療法を開始していたものの、被災病院からの受け入れが相次ぎ、やむなく退院してもらった。その患者さんは、石巻市沿岸部にあった自宅を流された上、震災のときにちょうど病院に見舞いに来ていた夫以外、家族を津波で亡くしていた。

家族を失い、戻る家もなくなった患者さんを退院させていいものか・・・。まさに苦渋の決断だった。その後、その患者さんは仙台市内にアパートを借り、診療所の往診を受けながら、抗がん剤の治療を続けた。

ほかにも、家族を亡くした、自宅が流されたというわけではなくとも、震災という非常事態のためにいつも通りの医療を受けられなくなった人は多くいた。

たとえば、同居する親の介護をしながら、仙台市外から病院に通っていた患者さんは、地震の影響で介護サービスがなくなり、自宅を離れられなくなった。

「ちょっとしたゆがみが出てくるだけで、病院に通えなくなる人はたくさんいました。表に出てこない影響はたくさんありました」

東北大学病院腫瘍内科長 ちょっとしたゆがみで医療が受けられなくなった
提供:轡基治さん(うえまつ調剤薬局)

石岡さん自身も、震災の影響を受けているという意味では、被災者の一人だ。

震災当日は、学会に出席するため熊本にいたが、ちょうど秘書と電話で話している最中に地震が起きた。予約していた仙台空港行きの便をキャンセルし、急遽、飛び乗った伊丹空港行きの飛行機で、機内の大スクリーンに映し出された、津波が仙台空港を襲う映像を見た。空港に置いていた車は当然、流された。大阪から神戸、名古屋、東京、新潟と新幹線を何とか乗り継ぎ、新潟から山形までタクシーで行き、最後はレンタカーを借りて仙台に戻ったのは、13日の夜のことだ。

さらに、身近なところでは、東松島市で開業していた大学の先輩、石岡さんが気仙沼総合病院に勤めていた頃にお世話になった開業医が津波で亡くなった。「医者で亡くなった人は15人だけ。そのうちの二人は私の知っている人でした。ショックですよね」。


Source URL: https://www.novartis.com/jp-ja/couldnt-get-medical-care-due-slight-distortion

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